学園のあゆみ

ガーデナ仏教会附属日本語学園のあゆみ

1926年
ガーデナ仏教会設立
1928年6月
ガーデナ仏教会の附属校として日本語学園が設立。(土曜校のみ)
初代開教使の小倉康生先生が園長を兼任。教師2人と約70人の生徒で開園。80年代まで、開教使が学園長も兼任していた。当初の生徒は、仏教会信徒の子弟に限られており、仏教の勉強も含まれていた。第2時世界大戦後は、宗教を問わず、誰でも当学園にて、日本語習得の機会が与えられるようになった。
1930年
平日部開始。
1941年
生徒数、土曜クラス−220人前後、平日クラス−40、50人
第2次世界大戦前後
仏教会、日本語学園は、戦争勃発の為に一時止む無く閉鎖。戦争中、日系人は全て強制立ち退きを強いられ収容所へ入らなければならなかった為に、学園の教室が彼らの倉庫として使われた。
1945年9月
仏教会が教会やホステルの目的をも含めて再び開門。
1948年10月
仏教会としての地位を再度樹立。
1949年2月
日本語学園も再び開園。
1957年
学園の支援団体、ペアレンツ・ティーチャーズ・カウンセル(略称PTC)の発足。
1958年
小野武男氏がPTC初代会長に就任。
1958年9月以降
川崎是生開教使及び仏教会の主要メンバーにより学園の再構築が下記の要項に沿って行われた。

  1. 学年を設けた
  2. 教師の資格要求、教師数の増加
  3. 教科書選定
  4. 教室の増加
  5. 生徒数の増加
  6. ペアレンツ・ティーチャーズ・カウンセル(PTC)の組織化等が成された。

学園の再構築は大成功を修め、生徒数、教師数も大幅に増加し、上級レベル(後の中等部)の設立と共に茶道、華道のクラスも始まった。戦後は、しばらく土曜部のみの授業にもどる。

1962年11月17日
第1校舎の建設。
1963年9月
平日部小学部再開。1960年の後半には、全校の生徒数が600人に増加。
1969年1月
PTCの学園便り第1号創刊。
PTCの学園便りが、毎月1回、日英両語で発行されるようになった。当時の学園長、増山顕雄先生が日本語を、前田トム先生が英語編集を担当し、学園行事や学園に関する色々な記事を掲載し、生徒の保護者に知らせていた。現在一学期に一回の割合で学園関連記事、PTCのお知らせ及び生徒の作文と共に発行されている。
1970年6月
サマースクール復活(9年間の中断後)。
1970年
「母の会」発足。
「母の会」が、学園とPTCを援助する為に発足され、80年後半に母の会の名称はルームマザー (現在は、ルームペアレンツ)に変わった。
1972年9月新年度
平日部幼稚科(後の幼稚部)が正式に加わる。
初代ディレクターは、増山幸子氏、対象年齢は、3、4歳児。
土曜日の午後に随意教養クラスが開設。
土曜部の授業短縮(1928年の開園以来、土曜部の授業時間、午前9時〜午後3時を午前8時30分〜12時20分に変更。)
1973年9月
平日部の中等部開始。
中等部が出来るまでの10年間は、平日部の小学年の生徒達は、中等部進級の為に土曜部へ移らなければならなかった。
1974年9月
平日部及び土曜部に幼稚園(現在のキンダーガーデン)が加わった。
1975年2月2日
第2校舎の落成により、8つの教室が追加された。
1975年9月
土曜部幼稚科(プリスクール、現幼稚部)スタート。
1996年
幼稚部が「なかよし幼稚園」と命名された。
1997年
幼稚部にてディケアーの運営開始。
幼稚部の受け入れの対象年齢を2才児から(キンダーガーデン未就学児前)とした。ピアノクラスが選択科目として開設。

登録生徒数の移り変わりと随意クラス

1970年後半から80年代の初期にかけて、学園の生徒登録数はピークに達し800人に及んだ。
全米で日本語学校として最大の規模となったが、日系人の世代が進む、関心事が変わる、駐在員の減少等の理由により、登録数は減少の一途を辿った。現在は、幼稚部を含み、全校で約150人の生徒が通っている。

又、過去には、随意科目として書道、ペン習字、図画、工作、料理、珠算(そろばん)、会話、合気道、空手)裏千家茶道、池坊華道等、様々な日本文化に因んだクラスが土曜日の午後に行われていた。

学園の運営

ガーデナ仏教会附属日本語学園は、ガーデナ仏教会により選任された学園理事長及び数名の理事の指導の元に運営されている。